ロケLOG

大学生のロケットマンによるブログ

大学とか義務教育だろ

大学ってほとんど義務教育じゃねって思う。

義務教育じゃないけどね。

 

みんなも思わないかい。

義務は無いんだけど、雰囲気義務みたいなものがあると。

 

ちなみに僕は大学に行けない人の気持ちを考えろとかいう人を全く理解できない。

それは食べ物を残した際に、食べ物に困っている人もいるんだ。と言われているのと同等だ。

人間なんて所詮、環境に左右される生き物である。

食べ物がなければ大切にするし、多ければ大切だとは思わない。

 

その場で頑張れるモチベがある人も、ない人もいるのは必然である。

みんなが良いという社会はありえない。絶対にNOと思う人があらわれるらだ。それは人間という生物の特性である。

 

 

世の中には誰もが正しいというものは無いが、何か正しさのようなものを漂わせている。

それは社会の都合であろうと思う。

 

本当ならもっと自由であるべきだ。

そして、様々な道があるべきだ。

しかし、社会の都合で正しいっぽいものを作られている。

 

その不条理に大人は気づいているが、あたかも気づいていないふりをしている。

そんな道はないと。

社会は人を1種類にしか見ていない。なぜならば、そちらのほうがシステムが機能するからだ。

当然、様々な人はいる。ただ多数派の人間に向けてシステムを作った方が社会は機能する。それはルール決めであったり、反対派が少ないからだ。

 

多くの人にあってるシステムなら、そちらの方が社会は進歩する。

そして、少数派は育たない。それが社会的には成長する。

少数派なんてものは、社会(大多数が)がたまたま悪い方に向かった時に、輝くだけだ

少数派に意見はない。ただ、大多数の反対にいつも位置どり、社会全体が悪い方に向かって全滅するのを避けるための役割をするだけだ。

 

 

大学は行きたい人が行く場ではなくなってきている。ほぼ義務のようにいく場になってきている。

大学は研究、勉強をしたい人が行くべき場ではなくなっているのだ。

普通の人が行く場になっているのだ。

 

ただ、大学の教授はそれが分かっていないように思える。

大学は一般教養を学ぶ場だ。

専門教育の場ではない。

 

授業を聞きたくないやつを大学は捨てるべきであろうか。

答えはNOだ。

小学校と同じだ、授業が嫌いな奴が受けているのだ。受けなければ良いと思うかもしれないが、雰囲気義務教育になっているのだ。

そして、これは大学が対応すべき点である。

勉強しないやつを捨てるのではなく。

もっと、好きない人が楽しい授業ではなく、好きな人を増やす授業にすべきである。

 

考え方を変えれば、大学なんていらないのかもしれない。

というより、学校教育の限界が来ていると僕は思う。

先生の指導には今の時代に限界があるのではないか。

うつ病などの病気になりやすいのも、そのせいだと思う。

先生という職業と学校教育に限界が来ているのだ。