レールの上を歩いている大学生

地球を宇宙一の惑星にする大学生

地球が宇宙一の惑星になるためのブログ

ひとりぼっちのリーダーの苦悩

僕は大学生である。体育会に所属しておりキャプテンではないが、とあるリーダーである。言うなれば上にも下にも人がいる中間管理職のようなものである。

 

自分はあまりリーダー的なことをやってこなかった。しかし、いつも「もっとこうしたらよいのになぁ」と思っていたし不満でいっぱいだった。

とにかく自分は頭が良いと思っているひねくれもののようなやつである。

そして。誰にも理解されないし、理解されたくもないし、他人を理解しようともしない、ひとりぼっちである。

 

自分がリーダーになったら、全員主体的になれるチームが作れると思っていた。それで、いざリーダーになるときが来て、やってみると全然うまくいかないのだ。

 

チームのためというより、自分がリーダーである立場を保つ保守的な指示しか出せないし、その指示も全然やりたいことでないので正確な指示を出せていない気もする。

リーダーだから、やらなければならないみたいな感じになっているのだ。

 

自分はやりたいことをやるのが最も正しいと思っていたし、やりたくないことをやっても成長しないと思っている。

 

自分は従来とは違ったやり方でやるのが好きである。それは、ただ単にみんなと同じことをした場合、みんなより努力しなければ勝てないというのが嫌いだし、同じことをやることにやりたいという意思がないと思うからだ。

 

チームの雰囲気が良い時は、その自分の思った独特のやり方でできて楽しい。しかし、雰囲気が悪くなってきてると、通常とは異なると、そこがいけないのではという風にみんなに思われている気がするし、そんな風にも思ってくる。

 

そんなこんなで悩みまくった結果、普通のやり方を学ぶべく、マネジメントや経営者の本などを読みまくるようになった。

 

けれども、そんなものを読んでも本質的には変わらないような気がするのだ。

 

結局、方法から生まれたものに意味はないと思うのだ。目的が大切なのだ。

目的を作ることが目的になることも方法である。

意思がないのだ。

 

これらマネジメント、経営学は意思のもとに学ぶべきものであり、僕のような迷える子羊は学んでも意味がないように思える。

 

結局のところそういう人たちに足りないものは、相手を思いやる気持ちであると思う。自分さえ輝ければ良いというように思っているのだ。チームのためとは言いつつ、結局自分のためである。わかってはいても、どうすることもできない。

相手を思いやれば良いと言うものでもない。

なぜならば、相手を思いやれば成功するという幻想は意思なき、方法だからである。

正しくは、チームが良い方向進むために、チームのことを考えるのである。そうすれば、自然と思いやりは出てくる。そして成功者は、後付けで思いやりが大切だ。みたいなことを言うから、世界がおかしくなるのだ。

 

 

自分よがりな社長は失敗するみたいなものを見るが、確かにそうであると思う。

自分のことしか考えていない人にはついていかない。頑張っても全部、手柄は取られるのであれば、協力しないだろう。

 

 

リーダーをやっていると、上と下から意見の相違があり、板バサミに会うことがある。

結局、僕はひとりぼっちなので自分で決めなければならない。というか、上も下も意見を聞かない。自分が絶対に正しいと思っているグズである。

特に上からの批判などは聞かない。チームのすべての責任はリーダーに上にあると思っているからだ。自分が批判されたら、あなたのやり方が悪いと思っているのだ。反対に下の失敗はすべて自分のせいだと思っている。

なぜならば目標を描けていないか、共有できていないからである。技能的な失敗は全く気にしていない。それよりも、やる意味をわかっていない方がやばいと思っている。

目標が分かっていれば失敗しても、挑戦して主体的に学んでくれる。

分かっていないと、ただ単につまらない。

 

主体的に下にやってもらいたいのは、ただ単に楽しんでもらいたいからかもしれない。

 

ちなみに僕は起業家になれば、束縛なく自由になれるとか思っていたがそうではないかもしれない。

まず、部下の信頼もない。

そして、上司の話を聞かない僕は、起業すれば上司なんていなくなるが、大衆の話を聞かず、決して成功しないように思える。

 

つまり、解決せねばならぬのだ。しかし、よくわからないのだ。

 

とかいう、ひとりぼっちのリーダーの独り言でした。