レールの上を歩いている大学生

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地球を宇宙一の惑星にする大学生

地球が宇宙一の惑星になるためのブログ

大学の授業がくそつまらない理由

 

こんにちはロケットマンと申す。 

大学の授業がクソつまらない理由を考えてみました。

 

 

教師がプロでない

プロでないというのは、教えるということでなく、研究する目的で教授になっているということだ。

昔は大学に行く人が少なければ、教授も少なかった。さらに教える生徒も大学で勉強するという意思を持った人たちばかりだ。

 

つまり、

やる気のある生徒+少ない教授

と需要が多く、供給が少なかったのだ。

だから、研究しながら先生をやるということが成立したのだ。

 

しかし、今は違う。

教授の価値がなくなり、生徒のやる気もなく。

その結果、僕たち学生のやる気だけの問題にされている。

 

いつも世の中に出てくる意見は大学の教授だ。

これには信用があるからだが、だがそれすらも破たんする。

なぜならば、この情報社会において、誰でも情報を流せる時代になったからである。

 

目標がない

大学で勉強して、何になれるのか。

新卒切符を手に入れるだけだ。

 

良い成績をとってどうなるのか。

そもそも使わないであろうことを勉強して意味はあるのか。

 

いつか必ず役立つという幻想

あたりまえだ。

 

人間前向きなとき、過去は肯定され、後ろ向きな時に、過去は否定されるからだ。

どうせ、何もかも前向きな時に考えれば役に立ったと思える。

 

それなら、今夢中になれることをやって、後でよかったと思えることをやるべきだ。

 

生徒に授業の改善法を求める教授は100%クソ

授業の終わりに、授業をもっとこうしてほしいという意見を出席表とともにあれば書いてほしいという教授がいる。

改善をしようとしているから、良いと思われがちだが、僕の経験から行くと100%クソになる。

これは、まことに残念だがクソになってしまうだ。

 

理由は個性がなくなるのだ。

 

改善しようとした結果出てくるものは、軸のない授業。

何がしたいかわからなくなるのだ。

 

ただ、そんな教授陣に共通するのは学生のツボがわかっていないということだ。

そのツボを彼らは見えないもの見ようとせず、挑戦をせずに安易に学生に聞いてるのだ。つまり自分では考えていない。

 

やるべきことは生徒の反応を細かく見るということだ。言葉に抑揚をつけたり、例をつけたり、自分で実践するということをやっていない。

 

失敗から学ぶということをしないのだ。

 

そんな人たちのやる授業は全て同じ。

よかろうが悪かろうが、つまらないのだ。

誰もが良いと思うものは今の世の中にありふれているものであって、見飽きているのだ。

 

悪い物だろうと、珍しいものは面白い。

 

ノート

いい加減ノートをとるのに飽きた。

カメラで黒板を撮ると怒る先生もいる。

なぜかは、生徒のやる気がないと先生が思い、それを否定したいから怒るのだ。

または、先生が伝えたいことを伝わっていないと思い、怒っている。

 

つまり生徒が悪いと教授は思っているのだ。

 

実質生徒はやる気がないし、ノートをとる意味もない。

ただ、古い価値観が根付いていて、教授は気づかない。

 

結果、意味のないものをただ写し、教授が満足するのだ。

 

レポートの書く意味

レポートはアウトプットのために書くものだと思う。

アウトプットの目的は、相手に伝えるということの勉強と、伝えることにより知識がつくということだ。

 

ただ、大学のレポートは意味がない。

なぜか、それは教授にレポートを見せる目的がないからだ。

 

教授に書きたくもない自分の作ったレポートをなぜ提出しなければいけないのか。

提出してもらえるものは単位だけだ。そこにモチベーションはわくのであろうか。

 

教授に教えることもなければ、伝えたいこともない。

 

実験がつまらない

なぜにみんな同じ実験をして異なるレポートを出さなければいけないのか。

そういったものは卒論書く練習だとか言われるが、そもそもなぜに卒論を書かねばならないのか。

実験は自分の気になるものがあるときにやればいい。さらに言えば、実験レポートなんて将来書かない人がほとんどだ。

それがどこかで役に立つというのならば、なんどもいうがあたりまえだ。

 

MTM(まとめ)

学生個人を否定する社会であるが、今は社会のシステムが悪い。